同人ゲームサークル『なすびあん』の弐型式ブログ。
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食事中、なんとなくふと思った事。
例えば、何かのニュースで、
「○×新聞の調査で、中学生以下の性経験がXX%以上に~」
というのを聞くと、なんとけしからん!とか思ったりする経験が何度かありました。
だけどふいに我に返ったら、そんな感想を抱く自分もバカな大人になったなぁ、と不意にシミジミ思うのです。
例えば、私が学生の頃なんかアンケートを正直に書いたのって半分ぐらいだったような気がします。
ほとんどは目に付いた所を適当にチェックしてました。面倒でしたし。
そうしながら、こんな物を大真面目に集計して発表しちゃう大人って……と、哀れみのような気持ちを抱いた覚えがあるのです。
だけど大人になった今、そんなデータを鵜呑みにして感想を抱く自分が居る。
ああ、俺もそんな大人になったんだなぁ、自分がバカだと思ってた大人になったんだなぁ、と思うのでした。
まぁそれもこれも、アンケートを取るのも発表するのも、大真面目にやってるからついつい雰囲気で騙されちゃうんですよね。
だけどね、アンケートを書く側が真面目とは限らなかったりするんです。
嘘を書かない保証は無い、というよりも、本当の事を書かなきゃならない理由も無い。
例えば、友達が隣にいる状況で、「SEXをした事はありますか?」という質問があった時。
もしかしたら隣の友達が、自分はどっちにチェックをしたかチラッと見られる可能性があるわけです。
だから真実はさて置き、何がなんでも自分のイメージ通りの回答をするのがベターです。
女遊びしてますよ、って男なら童貞でも「ある」につけますし、私は清楚な女性です、って女なら経験があっても「ない」にチェック。
そうして何の理由も無く、面倒だから、気分で、という理由でデタラメにチェックをする人達。
でも「回答者は全員正直者」として、大真面目に集計して数字にしちゃう大人達。
きっとたぶん、この集計する人達も恐らくは薄々気付いてるんですよね。
この数字は正しく無いんだろうな、って事に。
でもそう思いながらも世間には発表しちゃうわけです。真面目を装ってね。間違いないって顔をしてね。「少なくともアンケート用紙に『チェックされた数』の集計は間違い無いですよ」って言い訳してね。
でもね、その発表を見た人間――特にアンケート対象外だった大人は「おお、なんとけしからん! 乱れた世の中!」と叫ぶわけです。
その集計結果が最近の中高生の実態反映だとか思っちゃうわけです。
で、そんな青筋立てて叫ぶ大人を見てですね、学生の頃の私だったらこう思ったと思いますよ。
「大人って哀れなぐらいバカだよな」
醒めた目で見たと思います。
知識も技術も経験も、自立する能力すら無いのにそう思うに違いないです。
実際やっぱりバカなんだと思いますよ。
誰かの話を聞いて、大して調べもせずに、「一般的」で「常識的」な「良識」ばっかりをペラペラ語り出す人達ばかりを見るとね。
その話す内容も、たぶんほとんど自分で考えて喋ってるんじゃないと思います。
思い出しながら、喋ってる人達ばっかりだと思います。
誰かが言った言葉や話をね。
それで共感したから、まるで自分の言葉のように喋っちゃうんです。
でもそんな、それらしい事を言ってるだけの人達がバカじゃなくて何なんでしょう?
自分の目で見ようとせずに、人から聞いた話について自信満々に意見を述べる人が哀れじゃなくて何なんでしょう?
そんな人達を尊敬する人がバカじゃなくて何なんでしょう?
こんな風に世間の片隅で偉そうに意見を垂れ流す私だってきっと……。
何十年かしたら、自分の子供の卒業式の呼びかけに感動しちゃうような大人になってそうな気がします。
でもたぶん、大人はバカって事が分かりながら大人になるとバカになる学生達も、きっとバカなんでしょう。
みんなみんなピエロばかりで変な世界だと思います。
誰一人として悪人に石を投げられる人なんてほんとは居ないのに、善人ぶって他人をアレコレ言っちゃいます。
そんな凄く恥ずかしい事をして、平気な顔していられるみたいです。
「この世界はみんな間違ってるよ! みんなが間違ってるんだから、別にそれで良いよね!」
こんな声はただの私の妄想ですが。
だって間違ってるのにそれで良いなんて事は無いですよね。
バカだったら直す努力をしますよね。
でも誰だってみんな、なんやかんやそんな努力はしないような。
大衆を離れるぐらいなら、みんなと人を殺しましょうinルワンダみたいな。
開き直る事ほど堕楽的な事って無いです。
一体私はキン肉バスターを調べてどうするつもりだったんでしょう。
なにか目的があったはずなんですが・・・うぅむ。
あ、思い出しました。
抱き枕に筋肉バスターを掛けるにはどうすれば良いのか、って考えてたんでした。
……。
…………暇なんかじゃないよ。
仕方無いから名言でも紹介して帰ります。
「苦労したり、悩んだり、憎んだり、恐れたり、悲しんでるとき、気持ちいいですか?
あんな嫌な気持ちはなかろう。その嫌な気持ちをなぜ心にさせるんだ。
中村天風」
マジカッコイイっす!ぱねぇっす!
心なんてただの道具ですよ、とは中村天風先生談です。
それではまた!
あまりにもこのサイトを遊ばせ過ぎるのもどうかと思いまして、今日から時々名言・格言を紹介しようと思いまする。
お前がさっさと次回作を書けば良いだけなのでは、とかは言ってはいけません。
今の私は充電期間なのです。
我にとって執筆とは何ぞや。というソクラテスも真っ青な難題に取り組んでおります。
いや、まぁ大体の答えは出たので、とりあえず少しずつ昔の執筆ペースを取り戻せたら良いな。
それでは、そろそろ今日の名言。
「自分自身の道を迷って歩いている子供や青年のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。
世の一般的な大人達に対するアンチテーゼ、そこに痺れる憧れるぅ!!
名言の解釈なんて人それぞれなんですがね。
それも言葉の不思議なとこなんですが。
これは要するにアレですよね、他人に用意された道を何てことの無い顔で歩いてる人よりも、自分で決めた道を泣きながら歩いている人の方が良いよねって事ですよね!
まぁ要するに何となく流されるまま自分の人生を生きちゃってる人、もうちょっと自分の考えで行動しろと。
他人の考えで頭一杯になっちゃってる人は、もっと自分の頭で考えるようにしろと。
‥‥なんだか、この名言を紹介している私にも当てはまる気が致します。気のせいですよね。
まぁでも結論としては、他人の道でも自分の道と出来るように努力しましょうという事で!
もうちょっと一生懸命生きよう、という事をゲーテさんは言いたかったんだよ!