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同人ゲームサークル『なすびあん』の弐型式ブログ。

   
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二段階(2レベル)上、ではいけない(青井えう)
大衆受けする物語というのは、一段階(1レベル)上の物語である、という結論。
というのが、最近ヒマな時なんかに私が考えたりする事なのです。
1レベル上、という言葉の概念がすでに曖昧ではあるんですが、受け手の『物語に対する自身のイメージ』を、『かけ離れすぎない程度の仕掛けが施されたモノ』が、1レベル上という風に定義しましょう。
ま、無理に難解な言葉を使ってキザッたらしく定義してみた所で、例え話で分かりやすく例を出してみるなら。
受け手と同レベルのリンゴの物語を書くとすれば、『リンゴは赤い』となります。つまりテーマ=受け手が当然として理解しているイメージなわけです。
で、これを1レベル上に段階を押し上げれば『リンゴは白い』となります。受け手のイメージを裏切る。
2レベル上ならば『リンゴは色が無い』。
3レベル上ならば『リンゴなんて無い』。
さて、結論として2レベル上は自己満足とか言いたかったのですが、急速にこのテーマについて書くのが面倒になってきました。ふと冷静になる瞬間、ホルモンバランスがガラリと変わっちゃった感じの賢者タイム。
この話題は、この辺で投げっぱなしてしまいましょう。

さて、なんでこんなことを言い出したのかというと、最近読んでいる小説が巷では『傑作』と騒がれているにも関わらず、私には『凡作』にしか思えないという事態に遭遇したこと。
まあライトノベルや大衆小説の分野において、それは良くある話であって私は不満を残しつつも『感性の違い』という事で処理していました。
だけど今回起こったのは、SFというジャンルである事。
SFというジャンルはその性質上、『感性の違い』なんてものは通用しません。
サイエンス・フィクション(仮想科学)は綿密な設定の練りこみと、科学に対する知識と、それに付随する未来図の描写によって成り立つ作品でありまして、その緻密さで勝負する分野だという事です。ま、多くの場合はそこに哲学も入るのですが。
そのSFというジャンルにおいて、私にとっての凡作(といっても王道的で丁寧な造りの好感の持てる凡作ですが)が、傑作という評価を得ているのはどうしたもんだろうと。
というかSFというジャンルが、私の想像もつかない未来に連れて行ってくれるファンタジーだと思っていたので、ある程度は予想がつく、もしくは一度は意識的・無意識的にも考えた事のある設定の作品に出会っても、私にとってそれは凡作であって傑作では無いのです。
それが傑作だとして大絶賛されているのを見るのは……不快ではないけど、なんだかちょっぴりワクワクドキドキ。
つまり、もしかしたら私が書いても通用するのかもしれないという期待と、私が書いたらそれは自己満足になってしまって理解されないのでは無いかという不安。
それと同時に、私がまだ学生だった頃にはあんなに高かったSFの壁が、頑張れば手が届きそうなぐらい下りてきてる事へのほろ苦さと、そもそも読者が減少していっている寂しさ。
ま、私が書いてもたぶん柔らかい感じのライトノベル調になって、あんまりSFを語るのは失礼な作品になりそうだなーって予感はしますが。
いつかもし機会があれば、挑戦してみたいですねえ。

とりとめもない文章は、ちょっとした期待と不満をスレスレ吐けるラインです。

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